お題「かわいくないことをかわいく言ってください」の凄み

 

"かわいくないこと"の探究

 先日放送された『IPPON女子グランプリ』*1のお題「かわいくないことをかわいく言ってください」の何が凄いかと言うと「かわいくないこと」とは「非かわいいこと」を意味してはいないんですね。既存知識の全体集合があってその部分集合が「かわいいこと」で、その補集合が「かわいくないこと」という二元論ではない。
 「可愛い」でも「非可愛い」でもない「かわいくないこと」という新しい(または珍しい)知識の発見を要求している。単に非可愛いだけでなく、その中でも「かわいくない」とわざわざ取り立てて区別する何か特別な美的価値(視点)が求められている。
 その点で渋谷さん、王林さんの尿やおなら、超高齢化社会、工事中というチョイスは「非可愛い」であってもわざわざ可愛くないと取り立てる何かが無く弱い。「マントヒヒ(神田)」と「悪い人の犬(王林)」は元々ご本人にとって個人的に「可愛い事」だが人によっては「非可愛い事」、つまり「可愛い且つ非可愛い」という矛盾なのですが、これは「価値観は人それぞれ」として我々が割と当たり前に知っている物事の捉え方でハッとする程の視点でもない。という実は哲学的にちょっと高度な難題*2に対して「かわいくない」とは何だろうと真正面から問うたのが滝沢カレンさんの回答でした。

お題に仕組まれた笑いのメカニズム

 恐らくそれは「かわいくない=愛してあげられない自らの感性の偏狭さ」という様な視点で「ゴッツゴツのエゾジカ」「サメ肌のイボ」という新鮮な対象が描かれ、しかし初見であるにもかかわらずそこには「確かに愛せない」「確かに可愛くない」と共感できるだけの普遍性が備わっていたのでした。また恐らく「かわいくない=愛してはいけない自らの意地悪さ」と捉え導き出されたのが「あしうらゴミだらけダネ♡」で、これも私達が共通して持っている「意地悪さ」とそれを「愛してはいけない」道徳心が共感を呼び、確かに「可愛くない」と言うべき新しい知識として新鮮に映ったのです。
 さらにこのお題の凄まじい所は、そうして私達が「かわいくないこと」と共感し認知した刹那「かわいく言う」ことで、可愛くない筈のことを可愛い事と実感を持って認識させ、ジェットコースターの如く固定観念を揺るがし、どこか自由な心地にさせ、何事も愛せることの快感を呼び起こし、満ち足りた笑いを創造しているのです。
 滝沢カレンさんは比較的、慈愛と可愛らしさに特徴のあるキャラクターで「かわいく言う」に関しては絶大な説得力があり、それが笑いを生む力にもなっていましたが、想像するに恐らく、例えば格好いいキャラクターの神取忍さんの様な方でも「可愛くないけどしょうがない認めてやるか」「愛してやるか」というような肯定的な言い方さえすれば笑いに至るメカニズムは機能したと思われ、そこには意図に沿えば笑いが生まれるメカニズムの巧妙さがありました。

「可愛い」と「格好良い」を考える

 更に更に、このお題の素敵な所は「かわいさ」という文化的に女性が特に造詣の深い(よく知ってる)価値観、表現が得意な人の多い価値観を笑いの材料としながらも「かわいくないこと」という新しい視点の発見、創造性が発揮されることで、回答者がカッコよく見える事です。
 「可愛い」という美的判断を下す時、恐らく私達はその可愛い対象に新しい良さを見出しません。既に自分の中にある良さ、知っている良さを対象の中にも見つけるので、共感しそれを取り立てて庇護し愛でるべきだと思う、可愛いと思うのです。だから「可愛い」はお互いを肯定し勇気づける営みと言えます。一方で「カッコいい」という時、恐らく私達は自分の中にない良さをその対象に見つけています。自分にない発想や優れた点を見つけ、肯定し応援し支える立場としてその良さを自分の物とする営みと言えます。
 この営みが社会でどう機能するかと考えると、可愛いは培われた社会を安定させ、カッコいいは社会を広げさせ、変革させ前進させるべく働いていると言えるでしょう。

文化を作る格好良さ

 つまりこのお題には、単に笑いを生み出す機構だけでなく、女性タレントがカッコよく映るメカニズム、即ち主に男性芸人によって培われてきた既存の大喜利文化を男性芸人があまり持ち合わせない新しい感性や知識、経験によって文化の幅を広げ前進させるメカニズムがあったのです。
 もちろんメカニズムがあったからとて、その趣旨を読み解き、お題を機能させる回答者の創造性がなければその輝きが生まれなかったことは間違いありません。
 そんなわけで、このお題と回答には既存の大喜利文化を培ってきた者達の見据える意図の思慮深い凄みと、その分野のマイノリティでありながらパイオニアとして主体的に文化を発展させんと奮闘する者達の気概が見事に組み合い、協働の産物としてその鮮烈な輝きを放ったと言えると思うのです。

*1:2022年6月25日放送 「IPPON女子グランプリ開催!カレンVS渋谷」 フジテレビ

*2:aでも非aでもa且つ非aでもないという物事の捉え方は仏教哲学を思い起こさせます。cf.

仏教哲学の真源を再構築する ― ナーガールジュナと道元が観たもの | TEXTS | ÉKRITS / エクリ